清助新田村
せいすけしんでんむら
[現在地名]寒河江市清助新田・高松
谷沢村の東、寒河江川の南岸にあり、東は米沢村。寛永年間(一六二四―四四)谷沢村地内であった留沢原を開発した新田で、地名は開発者佐藤清助の名にちなむ。集落は上・中・下の三つに分れ、谷沢村のうち下谷沢に東接する上新田が本集落で、米沢村のうち西覚寺、米沢に続く中新田・下新田は枝郷扱いであった。開発以来幕府領で幕末に至る。寛文一二年(一六七二)の検地帳(佐藤文書)では高二四九石余、反別は田方一八町三反余・畑方八町八反余、屋敷筆数四七。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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