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清岡道之助 きよおか みちのすけ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

清岡道之助 きよおか-みちのすけ

1833-1864 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
天保(てんぽう)4年10月20日生まれ。清岡治之助の従弟(いとこ)。土佐高知藩の郷士。佐藤一斎にまなび,武市瑞山(たけち-ずいざん)とまじわる。瑞山が投獄されると,救出のため元治(げんじ)元年7月同志22人とともに安芸郡(あきぐん)野根山に集結。藩兵に捕らえられ,同年9月5日奈半利(なはり)河原で処刑された。32歳。名は成章(なりあき)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

清岡道之助

没年:元治1.9.5(1864.10.5)
生年:天保4.10.20(1833.12.1)
幕末の土佐国(高知県)安芸郡郷士,勤王の志士。諱は成章,通称道之助。学問に励み,江戸に出て安積艮斎,佐藤一斎,若山勿堂に師事して研鑽,安政1(1854)年に帰郷。文久1(1861)年,土佐藩構築の大坂住吉陣営に駐在,武市瑞山の土佐勤王党には直接加盟しなかったが提携を約す。同年8月,勤王党の獄が起こり武市以下幹部が禁獄された。道之助は安芸郡の同志を糾合,武市らの救解を運動,元治1(1864)年8月,23名の同志と野根山岩佐駅に屯集,藩庁に救解嘆願書を発したが,藩庁の姿勢は強硬で,大監察小笠原只八が藩兵800を率いて鎮圧に出た。清岡らは阿波国(徳島県)への逃亡を試みたが捕縛され,奈半利河原で斬首の刑に処せられた。<参考文献>瑞山会『維新土佐勤王史』

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の清岡道之助の言及

【田野[町]】より

…幕末には安芸郡奉行所が置かれ,併設された田野学館では洋式砲術の教授も行われた。1864年(元治1)当地の豪士清岡道之助ら安芸郡下の土佐勤王党関係者23人が東方,現北川村の野根山に屯集して藩政の転換を求めるという野根山事件が起こり,捕らえられた彼らは奈半利河原で処刑された。町内福田(ふくでん)寺にその墓がある。…

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