朝日日本歴史人物事典 「清岡道之助」の解説
清岡道之助
生年:天保4.10.20(1833.12.1)
幕末の土佐国(高知県)安芸郡郷士,勤王の志士。諱は成章,通称道之助。学問に励み,江戸に出て安積艮斎,佐藤一斎,若山勿堂に師事して研鑽,安政1(1854)年に帰郷。文久1(1861)年,土佐藩構築の大坂住吉陣営に駐在,武市瑞山の土佐勤王党には直接加盟しなかったが提携を約す。同年8月,勤王党の獄が起こり武市以下幹部が禁獄された。道之助は安芸郡の同志を糾合,武市らの救解を運動,元治1(1864)年8月,23名の同志と野根山岩佐駅に屯集,藩庁に救解嘆願書を発したが,藩庁の姿勢は強硬で,大監察小笠原只八が藩兵800を率いて鎮圧に出た。清岡らは阿波国(徳島県)への逃亡を試みたが捕縛され,奈半利河原で斬首の刑に処せられた。<参考文献>瑞山会『維新土佐勤王史』
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報