朝日日本歴史人物事典 「清岡治之助」の解説
清岡治之助
生年:文政9.10.2(1826.11.1)
幕末の土佐国(高知県)安芸郡郷士,勤王の志士。諱は正道,通称治之助。曲水,桂山と号した。資性沈着にして胆力あり。若くより文武を修行し,江戸に遊学,安積艮斎に入門,また平田国学をも熱心に学んで古史・古伝にも通じた。文久年中に上京,土佐勤王党の同志らと尊攘運動に挺身,しばしば天誅行動におよんだ。同2(1862)年,勅使三条実美の江戸下向に副使姉小路公知に扈従した。同年秋,武市瑞山ら勤王党幹部が下獄したため,治之助は同族清岡道之助ら安芸郡の同志と武市らの救解運動を企てたが,藩政府の追及にあい,ついに捕縛されて同志23名と共に奈半利河原に斬られた。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報