清水浦塩浜(読み)しみずうらしおはま

日本歴史地名大系 「清水浦塩浜」の解説

清水浦塩浜
しみずうらしおはま

[現在地名]土佐清水市寿町

天明二年(一七八二)清水浦喜佐きさ(象潟)に築かれた藩営の塩浜。土佐は長い海岸線をもちながら多雨のため藩内自給ができず、とくに西部の高岡郡・幡多はた郡の山間部では、交通不便のせいもあって恒常的な塩不足を招いていた。そのため人々は伊予に塩を求める結果となり、国境の関所も塩を求める人々の通過は黙認せざるをえないような状態であった。当塩浜造成を浦奉行として推進した谷真潮が、塩浜完成後に記した塩浜根元之趣意(手抄「土佐藩漁業経済史」所引)に「清水浦にて塩浜新に仕成候事は、根元御国は海国にて候へども、掛塩仕成のみに付、御国内遣用不足、毎年二、三万石は他国塩買入来趣に付、他国へこそ売出し不申とも、百里の海を抱候御国にて其国内に遣候程の塩は何卒出来可申義と、同役安芸権七一同に申合せ、依之阿州表呼塩浜之儀遂僉議、土地を見合せ此度一所為仕成候」とあり、築造意図をよく伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報