清沢 洌(読み)キヨサワ キヨシ

20世紀日本人名事典 「清沢 洌」の解説

清沢 洌
キヨサワ キヨシ

大正・昭和期のジャーナリスト,外交評論家



生年
明治23(1890)年2月8日

没年
昭和20(1945)年5月21日

出生地
長野県南安曇郡北穂高村(現・穂高村)

学歴〔年〕
ホイットウォース大学(米国)卒

経歴
小学校卒業後、内村鑑三の流れをくむ研成義塾で学び、明治39年16歳のとき渡米。邦字新聞記者などをしながらカレッジで政治経済学を修め、大正2年帰国して、9年「中外商業新報」外報部長。13〜14年特派員として朝鮮・中国を視察。昭和2年「東京朝日新聞」企画部次長となるが、4年退社。以後はフリーの評論家として「中央公論」特派員、東洋経済新報社顧問などを務めた。強固なリベラリストとして時流に抗しての執筆活動とともに14年には三木清らと国民学術協会を結成するなど、戦争、軍部への批判を続け、戦時下の日記「暗黒日記」は戦後に出版(29年)されて高い評価を受ける。著書は他に「米国の研究」「自由日本を漁る」「アメリカは日本と戦はず」「現代世界通信」「外交史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「清沢 洌」の解説

清沢 洌 (きよさわ きよし)

生年月日:1890年2月8日
大正時代;昭和時代の外交史家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報