清野長太郎(読み)セイノ チョウタロウ

20世紀日本人名事典 「清野長太郎」の解説

清野 長太郎
セイノ チョウタロウ

明治・大正期の官僚 秋田県知事;兵庫県知事。



生年
明治2年4月1日(1869年)

没年
大正15(1926)年9月15日

出生地
讃岐国高松(香川県高松市)

学歴〔年〕
帝国大学法科〔明治28年〕卒

経歴
清野彦三郎の長男として生まれる。明治28年内務属となり警保局に出仕し、29年富山県理事官、ついで神奈川県理事官を経て、30年内務省事務官となり、36年ベルギーで開催の人口学万国会議に委員として派遣される。39年秋田県知事、同年新設の南満州鉄道理事に就任。大正2年官を辞すが、5年再び起用され兵庫県知事となり、口入れ所(職業紹介所)を設けるなど社会事業推進した。13年憲政会内閣が成立して神奈川県知事に、ついで、14年復興局長官となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清野長太郎」の解説

清野長太郎 せいの-ちょうたろう

1869-1926 明治-大正時代の官僚。
明治2年4月1日生まれ。内務省にはいり,明治39年秋田県知事,同年満鉄理事に就任。大正5年兵庫県知事となり,口入れ所(職業紹介所)をもうけるなど社会事業を推進。神奈川県知事をへて14年復興局長官となった。大正15年9月15日死去。58歳。讃岐(さぬき)(香川県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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