翻訳|social work
歴史的にみると、社会制度の名称として社会事業ということばがわが国で一般に使われるようになったのは、1920年(大正9)前後からであった。それは、それまでは感化救済事業、さらに以前には慈善事業とよばれていたものに対する新しい名称であった。感化救済事業は、慈善事業では処理しきれない社会問題に対応するために、国家権力の指導により組織化された救済である救済事業と、当時注目を集めるようになった感化事業を結合したものである。しかし、資本主義経済のいっそうの発達に伴い、社会の広い範囲に貧困層が出現し、その貧困問題は、公的に組織化された救済でも対応しきれなくなった。制度的、財政的に社会が基礎づけをより積極的に行う新しい制度が必要とされ、それが社会事業とよばれたのである。欧米諸国の場合でも、やはり、ほぼ同様の理由から、1920年前後より、慈善事業から社会事業への推移がみいだされる。
[副田義也]
わが国で、社会事業に対する社会的基礎づけは、必要に応じてただちに実現したわけではない。社会事業家たちや彼らの団体が、国家に対して長期にわたる運動を通じてそれを要望し、国家の側でも社会状況の変化のなかでそれが必要になる諸条件が熟したのを見定めてから、それは、1938年(昭和13)の社会事業法の制定により、ようやく、しかも不十分な程度で実現したのである。この法律の第1条で、社会事業の主要な分野とされたのは次の六つである。
一、養老院、救護所其(そ)ノ他生活扶助ヲ為(な)ス事業
二、育児院、託児所其ノ他児童保護ヲ為ス事業
三、施療所、産院其ノ他施薬、救療又ハ助産保護ヲ為ス事業
四、授産所、宿泊所其ノ他経済保護ヲ為ス事業
五、其ノ他勅令ヲ以(もっ)テ指定スル事業
六、前各号ニ掲ゲル事業ニ関スル指導、連絡又ハ助成ヲ為ス事業
社会事業に対する財政面からの社会的基礎づけとしては、第11条に次の条文が入った。「政府ハ社会事業ヲ経営スル者ニ対シ予算ノ範囲内ニ於(おい)テ補助ヲスルコトヲ得」。しかし、これは、改めていうまでもないが、政府は、社会事業に財政的援助をすることができるというのみで、その援助をする責任を負うというものではない。また、そのほかの条文は、通読してみると、全体として、政府が社会事業を援助するというよりも、強権によって支配・管理するという姿勢をうかがわせるものである。このような批判は、この法律案が審議されていたころからあったといわれる。なお、社会事業法は1951年に廃止され、同年、社会福祉事業法(昭和26年法律第45号)が制定されている。これに伴い、制度の名称としての社会事業は社会福祉事業にとってかわられた。同法はその後改正を重ね、2000年(平成12)の改正では社会福祉法と改称された。
[副田義也]
学問研究における学術用語としての社会事業についてもみておこう。わが国における社会事業研究の主要著作の一部に、次のようなものがある。田子一民(たごいちみん)著『社会事業』(1921)、生江孝之(なまえたかゆき)著『社会事業綱要』(1923)、山口正(ただし)著『社会事業研究』(1934)、孝橋正一(こうはししょういち)著『社会事業の基本問題』(1954)。社会事業を、田子は「現代及び将来の社会を土台にして、社会生活に於(お)ける自由を与へ不自由を除く社会的・継続的努力」の総称と定義した。生江は、社会的に産出された貧困の認識と社会的連帯を強調し、山口は、F・テンニエスのゲマインシャフトとゲゼルシャフトの理論に研究の基礎づけを求めた。孝橋は、マルクス主義理論によって、資本主義社会は、その構造によって社会問題=労働問題を産出し、これに社会政策で対応する、また、社会問題から社会的問題=貧困問題その他が派生するが、これらには社会事業で対応するという考え方をとった。孝橋は、この社会事業概念は、科学的にその本質をとらえたものであり、社会保障や社会福祉事業の現実態を分析する際にも有効であると主張した。学界の一部にはいまでもその影響が残っている。
最後に、1950年(昭和25)社会事業研究所から第5回国際社会事業会議に提出された、社会福祉事業界では有名な定義をあげておく。「社会事業とは、正常な一般生活水準より脱落、背離し、またはそのおそれある不特定の個人または集団に対し、その回復保全を目的として、国家、地方公共団体、あるいは私人が社会保険、公衆衛生、教育などの社会福祉増進のための一般政策と並んで、またそれを補い、あるいはこれに代わって、個別的、集団的に、保護助長あるいは処置を行なう社会的な組織的活動である」。しかし、これは、社会事業の歴史的性格をとらえておらず、平板な記述に終始する不できな定義である。
[副田義也]
『孝橋正一著『新・社会事業概論』(1977・ミネルヴァ書房)』▽『吉田久一編『社会事業理論の歴史』(1984・一粒社)』▽『木村武夫著『日本近代社会事業史』(ミネルヴァ書房・社会事業新書)』▽『一番ケ瀬康子・高島進編『講座 社会福祉2 社会福祉の歴史』(1981・有斐閣)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…イギリスでは1869年ロンドンに慈善組織協会charity organization society(COS(コス))が設立され,これに範を得て77年にはアメリカのバッファローでも慈善組織協会が誕生した。時期においてやや遅れ,行政主導という形をとったとはいえ,日本においても1908年に中央慈善協会(1921年中央社会事業協会と改称)の設立をみたのであった。イギリスおよびアメリカにおける慈善組織協会は無計画的な救済の弊害を除去するために救済者名簿の作成と交換,ケース・ペーパー(救済記録)の保存,申請者の生活調査,友愛訪問員による救済者の訪問指導などを実施し,これらはいずれも社会事業の成立の道を開くものであった。…
…イギリスでは,1908年に無拠出老齢年金法が,11年には健康保険と失業保険をその内容とする国民保険法が制定され,社会保険を中心とする防貧的施策が成立した。そして,他方において,これと並行するかたちで伝統的な救貧法の部分的改良や慈善事業の近代化が進み,新たに児童保護施策や保健サービスも形成され,ここに社会事業の成立をみるのである。アメリカにおいて,母子扶助や老齢扶助,セツルメント活動,慈善団体による援助活動を中心に社会事業が成立したのも,20世紀初頭のことであった。…
※「社会事業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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