渋川庄(読み)しぶかわのしよう

日本歴史地名大系 「渋川庄」の解説

渋川庄
しぶかわのしよう

旧大和川(長瀬川)の左岸沿いの平地部にあったと思われる山城醍醐寺領。近世の渋川村から植松うえまつ村の辺りに比定する説(荘園志料)があるが確かではない。「醍醐雑事記」に「河内国五箇庄」の一として「渋川二十町」とあり、年貢は反別四斗。渋川庄は朱雀天皇領であったが、勅施入されて醍醐寺領となった(→志紀南庄・志紀北庄。承保四年(一〇七七)二月二〇日の官宣旨案(醍醐雑事記)に「応早免除醍醐寺所領庄伍箇所、宛課防河堤并臨時夫役等事」として「在渋河郡」とあるのは当庄のことであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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