甘露寺親長(読み)かんろじ・ちかなが

朝日日本歴史人物事典 「甘露寺親長」の解説

甘露寺親長

没年:明応9.8.7(1500.8.31)
生年:応永31(1424)
室町後期の公卿。父は左大弁房長,康正2(1456)年から明応2(1493)年まで陸奥出羽按察使(都護)の任にあった。当時の硯学三条西実隆は甥,公卿の中御門宣胤は娘婿であるなど公家社会の実務的・文化的中心として朝儀の運営に関与した。応仁の乱(1467~77)による邸宅焼失から勧修寺,石山寺,鞍馬寺などを転々としたが,文明9(1477)年帰京し朝廷へ再び出仕,廷臣の指導に当たった。寛正6(1465)年権中納言辞去以降,官に就くことを望まなかったが,明応1(1492)年周囲の強い勧めで権大納言に昇進したが翌年すべての官を辞し,8月に出家,法名蓮空。禁闕の変(1443)では乱入した賊徒太刀を抜いて防戦したという逸話も伝わっている。和歌にも長じ,日記『親長卿記』を残している。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究―室町後期』,『増補史料大成』37~44巻

(小森正明)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甘露寺親長」の意味・わかりやすい解説

甘露寺親長
かんろじちかなが

[生]応永31(1424).京都
[没]明応9(1500).8.17. 京都
室町時代の公卿。文安3 (1446) 年蔵人となり,宝徳2 (50) 年参議,享徳2 (53) 年従三位権中納言,明応1 (92) 年権大納言となり,翌年出家,蓮空と称した。嘉吉3 (43) 年に後南朝の兵が洛中を攻撃した際には大いに活躍。応仁の乱には蔵書を勧修寺,石山寺,鞍馬寺などに疎開したがほとんど失った。畿内を巡遊し,和歌を多く詠じた。彼の日記の『親長卿記』は文明2 (70) ~明応7 (98) 年の部分が伝存し,記事にみるべきものが多く,ことに賀茂伝奏をつとめたので,賀茂社の事情に詳しい。親長は日記や記録の書写に努め,その方面の功績も多い。抄出した『園太暦』はことに有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甘露寺親長」の意味・わかりやすい解説

甘露寺親長
かんろじちかなが
(1424―1500)

室町中期の公卿(くぎょう)。蔵人頭(くろうどのとう)左大弁房長(ふさなが)の子。1452年(享徳1)参議、右大弁となり、権中納言(ごんちゅうなごん)、按察使(あぜち)を歴任した。69年(文明1)正二位、92年(明応1)権大納言になったが、翌年官を辞し、出家して蓮空(れんくう)と号した。有職故実(ゆうそくこじつ)に通じ、多くの記録を書写したり、主題によって関連記事を抜粋した部類記を作成した。自身も1470年から98年に至る29年間の『親長卿記』(『史料大成』所収)を残して、応仁(おうにん)の乱(1467~77)後のようすを伝えている。

[桑山浩然]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「甘露寺親長」の解説

甘露寺親長 かんろじ-ちかなが

1424-1500 室町時代の公卿(くぎょう)。
応永31年生まれ。甘露寺房長の子。嘉吉(かきつ)3年南朝方の遺臣が宮中に乱入した際,太刀をぬいて防戦。享徳2年(1453)権(ごんの)中納言となり,按察使(あぜち)を兼任。文明元年正二位,明応元年権大納言にすすんだ。有職(ゆうそく)故実にくわしく,応仁の乱後の宮廷文化の復興につくした。明応9年8月17日死去。77歳。日記に「親長卿記」。

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世界大百科事典(旧版)内の甘露寺親長の言及

【園太暦】より

…応長元年記1巻が現存するのみである。現在の流布本は,甘露寺親長が通秀から借りて抄出書写したものが主で,別に三条西実隆の抄録本《園暦抄》もある。刊本に続群書類従完成会刊行のものがある。…

【甘露寺家】より

…藤原氏北家,勧修寺(かじゆうじ)の嫡流。家格は名家。贈太政大臣藤原良門の子で贈太政大臣高藤の曾孫権中納言為輔に始まる。為輔がはじめて甘露寺と号したが,その子孫は勧修寺,吉田あるいは坊城を称していた。しかし南北朝時代の藤長が権中納言に補任されたとき,同門の吉田国俊も参議から権中納言に昇進したため,藤長が甘露寺を称して以来,代々これを家号とした。家系をみると,平安時代後期の参議為房は《大記》(《為房卿記》)の,その子参議為隆は《永昌記》の筆者として著名であるが,鎌倉時代に入っても為隆の孫権大納言経房は《吉記(きつき)》を,経房の玄孫権大納言経長は《吉続記》を著している。…

【親長卿記】より

…室町時代の公卿甘露寺親長(1424‐1500)の日記。多くの古写本が存在する。…

※「甘露寺親長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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