渡子島村(読み)とのこじまむら

日本歴史地名大系 「渡子島村」の解説

渡子島村
とのこじまむら

[現在地名]音戸町渡子(とのこ)

倉橋(くらはし)島の北部西半を占め、標高三〇〇メートル級の分水嶺を境に東の瀬戸島(せとじま)村と接し、西は南部の早瀬(はやせ)ノ瀬戸(幅三〇〇メートル)を隔てて佐伯郡東能美(ひがしのうみ)島の大君(おおきみ)村(現大柿町)と向き合う。平地は乏しく、集落は海岸にわずかにみられる緩傾斜地や小谷に営まれている。

近世初頭は「はやせ・とのこ島・たわら村」として三八〇石余の高がつけられたが(安芸国知行帳)、後これを渡子島とし、田原(たわら)・早瀬両浦は渡子島の「付浦」とされた(広島藩御覚書帖)。村高はおそらく寛永一五年(一六三八)から幕末まで五八〇石九斗とまったく変わらなかったが、明治三年(一八七〇)当時高に入っていない新開が二町三反余あった(「郷村高帳」広島大学蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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