温品村(読み)ぬくしなむら

日本歴史地名大系 「温品村」の解説

温品村
ぬくしなむら

[現在地名]東区安芸あき町温品

広島から東北方の高宮たかみや小河原おがわら(現安佐北区)に至る谷の入口にあたる。安芸郡に属し、南は矢賀やが村、府中ふちゆう(現安芸郡府中町)、西は稜線を境にして戸坂へさか村・中山なかやま村にそれぞれ接する。北は蝦蟇がまヶ峠を越えて細長い谷が矢口やぐち(現安佐北区)に通じ、峠以北の谷も当村域に属した。村内を東北から西南へ温品川が貫流し、東には高尾たかお(四二四・五メートル)がそびえる。「芸藩通志」に「昔は此辺まで入海なりしよし、金碇とよぶ地、往年鉄錨を掘出せしといふ、其地一段許は、今に深泥幾丈を知らず、耕種牛を入ことを得ずといふ、また舟隠とよぶ地もあり、古の舟入なりしにや」とあり、府中村に近い字長伝寺ちようでんじには、金碇かないかり神社が鎮座する。

建久九年(一一九八)正月日付平兼資解(「芸藩通志」所収田所文書)に「一所温科方冬原」とあり、この土地の四至は「東限温科河 西依請浜 北限弥吉開発田 南限温科川依請」と記す。平安・鎌倉時代の温科ぬくしな村には六三町八反一二〇歩の国衙領があり、うち五四町七反余が不輸免で(年欠「安芸国衙領注進状」田所文書)、厳島社以下諸社寺の免田や、在庁官人田所氏の私領(一〇町余)などがあった(正応二年正月二三日付「沙弥某譲状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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