浦添市(読み)ウラソエシ

デジタル大辞泉 「浦添市」の意味・読み・例文・類語

うらそえ‐し〔うらそへ‐〕【浦添市】

浦添

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日本歴史地名大系 「浦添市」の解説

浦添市
うらそえし

面積:一九・〇六平方キロ

沖縄島中部南端の西海岸に位置。北は宜野湾ぎのわん市、南は安謝あじや川を境に那覇市、東は中頭郡西原にしはら町、西は東シナ海に臨む。市域は北端の牧港まきみなとを扇頂とする扇状を呈する。西側低地(標高〇―四〇メートル)沖積層琉球層群の石灰岩に覆われ、内陸部の四〇メートル以上の高位面は起伏に富み、島尻層群の泥岩層・砂岩層と琉球層群の石灰岩が分布。北西から南東にかけてL字形に浦添断層崖(標高一二〇―一四〇メートル)丘陵が形成され、伊祖いそグスク浦添うらそえグスクが立地。断層崖に沿って牧港まきみなと川が北流し、丘陵を分水嶺とする小湾こわん川・シリン川が西流する。市域西部を国道五八号、中央を国道三三〇号が南東から北西に縦貫する。また国道三三〇号の西側を県道那覇宜野湾(通称パイプライン通り、旧沖縄県営鉄道軌道)が通る。国道五八号の西側地域は牧港補給まきみなとほきゆう地区(キャンプ・キンザー)が占有。丘陵付近に展開する仲間なかま前田まえだ安波茶あはちや伊祖いそ沢岻たくし西原にしはら、河川沿いに発展した牧港・小湾こわん勢理客じつちやく宮城みやぎ屋富祖やふそ城間ぐすくま内間うちま仲西なかにしの字と、近世末期から近代に成立した屋取の経塚きようづか当山とうやま港川みなとがわ大平おおひらおよび埋立地の西洲いりじまからなる。

〔先史時代・古琉球〕

先史時代の遺跡には九州とのかかわりを示す市来式土器が出土した浦添うらそえ貝塚、弥生文化との交易を物語るアンボンクロザメ貝・ゴホウラ貝の集積遺構などを検出した嘉門かじよう貝塚などがある。源為朝の一子尊敦を始祖とする舜天王統(三代)、日光感精譚伝説の英祖を始祖とする英祖王統(五代)、天女を母にもつという察度を始祖とする察度王統(二代、一三五〇―一四〇六年)は当地を拠点に王権を樹立したとされる。牧港には為朝伝説が伝わり、舜天は浦添按司を称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浦添市」の意味・わかりやすい解説

浦添〔市〕
うらそえ

沖縄県沖縄島南部,那覇市の北に接する市。1970年市制。市名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名に由来する。東シナ海に面し,出入りが少ない海岸線にはサンゴ礁が発達。西部は起伏が少なく,東部は波状の丘陵が並ぶ。12~14世紀にわたって舜天,英祖,察度と続く琉球王朝が都を構えたところで,14世紀後半に王都が首里へ移転するまで琉球の政治の中心地であった。第2次世界大戦前は純農村。大戦では沖縄最大の激戦地となり,住民のなかばは死亡,村は焦土と化した。戦後は北部への縦貫道路(現国道58号線)沿いに商工業が進出。また,那覇市に近いことから住宅地としても発展,人口が増加している。浦添城跡(国指定史跡),英祖王陵と尚寧王陵が並ぶ浦添ようどれなどがある。面積 19.50km2。人口 11万5690(2020)。

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