改訂新版 世界大百科事典 「湖南財閥」の意味・わかりやすい解説
湖南財閥 (こなんざいばつ)
韓国の財閥。全羅道(湖南とも呼ぶ)の大地主金氏一族が育てたのでこの名がある。1919年金性洙によって京城紡織(株)が設立され,その後中央商工,三養社(農場経営),海東銀行と次々に事業を拡張,38年には南満紡績(株)を設立して満州にも進出した。植民地下の朝鮮では最大の土着工業資本に成長したが,金融的には日本資本の支配を受けた。一方で,《東亜日報》,普成専門学校(後の高麗大学校)をも経営して民族主義右派の基盤になったことにみられるように,民族資本の二面性を表す典型とみなされている。解放後は満州,北部朝鮮の工場を失い,原料の不足などにより生産の回復は順調ではなかった。李承晩・朴正熙両政権期にはアメリカの経済援助,外資の導入をほとんど受けることができず,財閥の中での地位は低下した。現在は三養グループと呼ばれ,三養社(食品,化学,飼料など。2004年資本金512億ウォン)を親会社として,三養重機,三養ジェネックスなどを傘下に抱えている。
執筆者:水野 直樹
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