『朝鮮日報』と並び韓国(大韓民国)で歴史のある代表的な日刊全国紙。欧文表記はDonga Ilbo。日本の統治下にあった1920年4月1日に「朝鮮民衆の表現機関を自任する」韓国語新聞として創刊され、以来幾多の迫害を受けながら、一貫して民主主義擁護の立場を表明してきた。1940年8月朝鮮総督府によって強制廃刊させられるまで、四度の停刊処分を受けた。もっとも有名なのは、1936年8月ベルリン・オリンピックでマラソン優勝者となった孫基禎(そんきてい/ソンキジョン)選手の胸の日章旗を抹消して紙面に掲載、9か月間の発行停止となった事件(日章旗抹消事件)である。第二次世界大戦後は1945年12月に復刊、1950年代後半には野党系の新聞として李承晩(りしょうばん/イスンマン)の独裁を非難。朴正煕(ぼくせいき/パクチョンヒ)軍事政権下の言論機関弾圧にも抵抗し、1980年代の全斗煥(ぜんとかん/チョンドファン)政権下でも抵抗精神を保ち、紙面を通じて民主化運動を支えた。創刊当時は夕刊として発行されていたが、その後時勢にあわせて数回発行形態を変更、1993年には夕刊から朝刊に変更、現在に至る。その後総合メディア企業を目ざし2000年には先端情報システムを備えたメディアセンターを完成した。国際版の発行や海外メディアとの提携にも積極的である。発行部数は128万部(2009年、韓国ABC協会)。本社はソウル。
[鈴木ケイ・木村綾子]
韓国の新聞。三・一独立運動の翌1920年4月金性洙らが創刊。初代社長朴泳孝,主幹張徳秀。〈朝鮮民衆の表現機関〉を標榜して言論・啓蒙活動に大きな役割を果たした。金性洙,宋鎮禹ら右派民族主義者の立場を代弁したが,《朝鮮日報》とともに植民地期の民衆運動を知るうえで不可欠の資料でもある。30年代前半には〈ブ・ナロード運動〉(労働夜学など識字運動を中心とした農村啓蒙運動)を呼びかけるなどの活動を行ったが,36年〈日章旗抹消事件〉(〈孫基禎〉の項参照)で4度目の停刊処分を受け,40年8月強制廃刊。解放後の45年12月復刊。金,宋らの韓国民主党系の新聞として右翼的論陣を張った。李承晩,朴正煕両政権の時代には野党に近い立場にあった。70年代の〈維新体制〉の下ではそれを貫くことができなかったが,現在も韓国を代表する日刊紙である。74年の言論自由闘争と白紙広告事件は,日本でも関心をよび購読運動を呼び起こした。なお,東亜日報社は総合雑誌《新東亜》や《女性東亜》などの月刊誌も発行している。
執筆者:水野 直樹
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…1936年ベルリン・オリンピックのマラソン競技に日本選手として出場,2時間29分19秒2のタイムで優勝した。この快挙を報道した《東亜日報》は孫選手の胸の日の丸を黒々とぬりつぶした写真を掲載し(日章旗抹消事件),朝鮮の民衆は民族感情を鼓舞された。総督府はこれを口実に同紙を無期停刊処分にし,《朝鮮日報》も停刊した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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