日本歴史地名大系 「湯前村」の解説 湯前村ゆのまえむら 熊本県:球磨郡湯前町湯前村[現在地名]湯前町 浜川(はまごう)・下城(したじよう)・古城(ふるじよう)・浅(あざ)ヶ野(の)・上猪(かみい)・中猪(なかい)・野中田(のなかだ)一―三・田上(たのえ)・上村(かみむら)・下村(しもむら)・馬場(ばば)・瀬戸口(せどくち)・上里(かみざと)一―三・上染田(かみそめだ)・下染田(しもそめだ)・中里(なかざと)一―三・下里(しもざと)・植木(うえき)東は日向国米良(めら)村(現宮崎県児湯郡西米良村)、西は多良木(たらき)村・久米(くめ)村(現多良木町)、南は久米村・槻木谷(つきぎだに)村(現多良木町)、北は岩野(いわの)村・湯山(ゆやま)村(現水上村)にほぼ接する。また切畑(きりはた)村(現岡原村)も当村の飛地であった。鎌倉時代には豊富五〇〇丁に含まれていたといわれる。「八代日記」天文一四年(一五四五)七月一二日条に「米良ヨリ湯前ニ動候」とあり、相良治頼の反乱に関する記載がみられる。永禄二年(一五五九)の獺野原(うそのばる)(現多良木町)の合戦では戦場となり同書同年三月一日条に「湯前方人吉ニ出頭」、七月一七日条に「湯前ニ動、里放火」、九月三日条に「湯前兄弟打死、湯前城・久米城落去」とあり、東長兄と丸目頼美の内訌に端を発した獺野原合戦で、湯前勢が丸目方につき、敗北した様子をうかがうことができる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by