湯原城跡(読み)ゆはらじようあと

日本歴史地名大系 「湯原城跡」の解説

湯原城跡
ゆはらじようあと

[現在地名]臼田町大字湯原

湯原本郷の北に西方から延びている丘陵の頂点にある。地方土豪の要害城として築かれた山城で、本丸・二の丸・曲輪等が比較的原形を残している。南方には雁峰がんのみね城・むかい城・上小田切かみおたぎり城が、東方には稲荷山いなりやま城が指呼の間にあり、北麓のたき川に沿って、西方湯原新田村を経て春日かすが(現北佐久郡望月町)に通じることができる。

湯原城には永正年間(一五〇四―二一)頃から湯原氏がこれによっていたが、大永(一五二一―二八)頃相木系依田氏がこれを奪って在城し、武田氏の佐久さく侵攻にあたってこれに下り、引続き湯原城に在城したものと思われる(高野山蓮華定院過去帳・月牌及び伝承等から推定)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報