湯里村
ゆさとむら
[現在地名]温泉津町湯里大字湯里
温泉津村の北、湯里川流域に位置し、河口南岸に湯湊がある。中世は大家庄温泉郷のうち。温泉里とも記す。戦国期には温泉郷を構成した飯原・西田とともに温泉三方とも称した。当地は山陰道と西田から石見銀山(現大田市)への道が通る交通の要衝で、南北朝期に温泉城(湯泉要害)が築かれていた。正平一一年(一三五六)一〇月六日の某感状(内田家文書)に「温泉城」とみえ、内田左衛門三郎が同城での忠節を賞されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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