日本歴史地名大系 「満久城跡」の解説 満久城跡まくじようあと 兵庫県:加西市満久村満久城跡[現在地名]加西市満久町 城山泉(いずみ)中学校の北側、通称蛤(はまぐり)山の山頂に位置する。南麓には満久の集落がある。標高は一九六メートルで、集落との比高は八〇メートル。城跡は東西六〇メートル・南北四〇メートル。主郭の西側と南側に一段ずつ曲輪が続き、それを囲んで西側と南側に横堀がめぐる。主郭の入口は食違い虎口になっており、敵が直進して入ることを妨げている。これは天正(一五七三―九二)頃の特徴である。文明四年(一四七二)内藤盛次が築城し、それまでの居城馬渡谷(もうたに)城から移ったとされる。満久は光照(こうしよう)院(現京都市上京区)領多可(たか)庄の一部で、内藤氏は多可庄の公文であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by