デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田勝隆」の解説 戸田勝隆 とだ-かつたか ?-1594 織豊時代の武将。戸田勝成(かつしげ)の兄。豊臣秀吉につかえ,馬廻りである黄母衣(ほろ)衆をつとめる。天正(てんしょう)15年四国攻めの功で伊予(いよ)(愛媛県)大津(洲)城主となり,18年小田原攻めでは伊豆(いず)韮山城(静岡県)攻撃に参加。朝鮮出兵にしたがい,巨済島で講和交渉にあたるが,帰国の途中文禄(ぶんろく)3年10月23日病死。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の戸田勝隆の言及 【伊予国】より …【山内 譲】【近世】 秀吉の四国征伐後,小早川隆景が伊予国の領主となった。1587年には福島正則が湯築(ゆづき)城に,戸田勝隆が大津城(大洲城)に入った。勝隆は宇和郡内の旧領主西園寺公広を謀殺し,土豪を弾圧し(戸田騒動),太閤検地を強行した。… ※「戸田勝隆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by