朝日日本歴史人物事典 「戸田勝隆」の解説
戸田勝隆
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称三郎四郎,官途受領は民部少輔・駿河守で,名は氏繁,氏知,政信とも称したという。早くから豊臣秀吉に仕え,天正1(1573)年9月,近江国長浜のうちで250貫文を与えられ,同5年,播磨で加増され5000石となった。秀吉の馬廻りである黄母衣衆のひとりで,四国攻めの功によって伊予大洲城7万石を領している。天正18年の小田原攻めには伊豆韮山城攻撃に加わった。文禄の役では朝鮮の巨済島で講和交渉に当たるが,帰国の途次病死してしまい,子がなかったので断絶となった。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報