朝日日本歴史人物事典 「源保光」の解説
源保光
生年:延長2(924)
平安中期の公卿。桃園中納言と称される。従二位。醍醐天皇の皇子代明親王の次男で母は右大臣藤原定方の娘。賜姓源氏。蔵人頭を経て,天禄1(970)年47歳のとき参議に任じられ,さらに中納言に進んで7年目に死去。この年は疫病が流行し,8人の公卿が他界した。火葬を嫌った保光の遺骸は,生前彼の手になった松前寺に埋葬され,のちに他の地に改葬された。妹の荘子女王は村上天皇の女御になり具平親王を生んだ。邸宅は左京の一条大宮つまり大内裏と至近のところにあった桃園で,これが娘を通してその子(保光の孫)藤原行成に伝えられた。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報