源師光(読み)みなもとのもろみつ

朝日日本歴史人物事典 「源師光」の解説

源師光

没年:元久1?(1204)
生年:天承1頃?(1131)
平安末・鎌倉初期の歌人。父は大納言源師頼,母は大納言藤原能実の娘。左大臣藤原頼長の猶子となった故か官途に恵まれず,侍従,右京権大夫を経て正五位下に至るが,50歳ごろ出家。法名,生蓮。藤原清輔・重家・実定,平経盛,源頼政などの歌人と交渉があり,諸家の歌合に出詠。自邸でも歌会,歌合などを主催している。歌林苑会衆である。晩年はその子具親,後鳥羽院宮内卿 と共に後鳥羽院歌壇に連なり,『正治初度百首』などに出詠した。『千五百番歌合』の判者を務めた。沈淪の述懐歌を得意とするが,「和歌之外無他芸」(『玉葉』)とも評された。『花月集』を選じたが散佚。家集『師光集』がある。

(田仲洋己)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源師光」の解説

源師光 みなもとの-もろみつ

?-? 平安後期-鎌倉時代官吏,歌人。
源師頼(もろより)の子。母は藤原能実(よしざね)の娘。正五位下,右京権(ごんの)大夫。建仁(けんにん)3年(1203)「千五百番歌合」の判者となり,このころ七十余歳で没したとみられる。歌は「千載和歌集」以下の勅撰集にはいる。子女源具親(ともちか),宮内卿。法名は生蓮。家集に「師光集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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