朝日日本歴史人物事典 「源師光」の解説
源師光
生年:天承1頃?(1131)
平安末・鎌倉初期の歌人。父は大納言源師頼,母は大納言藤原能実の娘。左大臣藤原頼長の猶子となった故か官途に恵まれず,侍従,右京権大夫を経て正五位下に至るが,50歳ごろ出家。法名,生蓮。藤原清輔・重家・実定,平経盛,源頼政などの歌人と交渉があり,諸家の歌合に出詠。自邸でも歌会,歌合などを主催している。歌林苑会衆である。晩年はその子具親,後鳥羽院宮内卿 と共に後鳥羽院歌壇に連なり,『正治初度百首』などに出詠した。『千五百番歌合』の判者を務めた。沈淪の述懐歌を得意とするが,「和歌之外無他芸」(『玉葉』)とも評された。『花月集』を選じたが散佚。家集『師光集』がある。
(田仲洋己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報