1201年(建仁1)6月,後鳥羽院が30人の歌人に100首ずつ詠進させた〈院第三度百首〉を結番した最大規模の歌合で,一応の判進は翌年の末ころか。作者は左が後鳥羽院,藤原良経,慈円,宮内卿,小侍従等,右が釈阿(俊成),藤原定家,同家隆,寂蓮,俊成卿女等,当代の有力歌人を網羅している。判者は院,釈阿,良経,定家,慈円,顕昭等10人で,150番ずつ分判している(源通親は死亡のため無判)。良経は漢詩,院と慈円は判歌で判するなど,判の形式も多様である。各判は判者の好尚や歌論を知る好個の資料であるが,釈阿,定家の判詞はとくに注意される。1201年7月に和歌所が再興され,11月には《新古今集》撰進の院宣が下っていて,時期的にも本歌合は《新古今集》と密接な関係にあるが,本歌合から90首入集し,本歌合作者の中から,和歌所寄人(よりうど),新古今撰者が出ている。
→歌合
執筆者:竹下 豊
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
歌合中最大のもの。1202年(建仁2)末から翌年初めにかけて完成。新古今時代の代表的歌人30人から、1201年に後鳥羽(ごとば)院の命により百首(春20、夏15、秋20、冬15、祝5、恋15、雑10首)を召し、左右一組とする歌合形式に番(つが)えたもの。判者は、忠良(ただよし)(春1、2)、俊成(しゅんぜい)(春3、4)、通親(みちちか)(夏1、2。途中で没す)、良経(よしつね)(夏3、秋1)、後鳥羽院(秋2、3)、定家(ていか)(秋4、冬1)、季経(すえつね)(冬2、3)、師光(もろみつ)(祝1、恋1)、顕昭(けんしょう)(恋2、3)、慈円(じえん)(雑1、2)の10人。後鳥羽院を中心とした歌壇の中核メンバーで構成されているため、『新古今和歌集』入集歌第一位(90首)を占め、斬新(ざんしん)で象徴的な幻想世界の新古今調を支えるものとして注目される。判詞も多彩多様(後鳥羽院と慈円は判歌、良経は判詩)であり、各判者の個性的な判詞は新古今撰集(せんしゅう)当時の歌評意識を知る貴重な資料である。
[有吉 保]
『『日本古典文学大系74 歌合集』(1965・岩波書店)』▽『有吉保著『千五百番歌合の校本とその研究』(1968・風間書房)』
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