溝口郷校跡(読み)みぞくちごうこうあと

日本歴史地名大系 「溝口郷校跡」の解説

溝口郷校跡
みぞくちごうこうあと

[現在地名]溝口町溝口

文久三年(一八六三)に開校した郷校。跡地は現在の溝口町役場庁舎となっており、役場前に「溝口郷黌之跡」碑が建つ。文久二年に出雲松江藩主の参勤交代路が出雲街道から新出雲街道に変更されたため、不用となった溝口宿の御茶屋を転用して郷校を開設することが請願された。請願を行ったのは、安政四年(一八五七)から二部にぶ宿で郷校を経営していた足羽良斎(純亭)であった(文久二年「郷校取立願書控」足羽家旧蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む