20世紀日本人名事典 「溝手保太郎」の解説 溝手 保太郎ミゾテ ヤスタロウ 明治〜昭和期の実業家,政治家 岡山合同貯蓄銀行頭取;貴院議員。 生年明治10(1877)年3月30日 没年昭和8(1933)年11月25日 出生地岡山県都宇郡早島村(現・都窪郡早島町) 経歴岡山県早島の大地主の子として生まれ、9歳で家督を相続。以来、広大な小作地を経営し、それらの収入を株や公債購入に当て、さらなる利殖をはかった。明治29年近村の地主たちと共に中備銀行を設立し、その頭取となって運営に尽力。また、倉敷紡績会社・早島紡績会社の役員や岡山合同貯蓄銀行頭取も務め、地域産業の発展にも貢献した。43年の日韓併合を期として朝鮮での土地経営を開始し、最終的には180町歩を有する大地主に成長。大正12年多額納税者として貴院議員に選ばれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「溝手保太郎」の解説 溝手保太郎 みぞて-やすたろう 1877-1933 明治-昭和時代前期の実業家。明治10年3月30日生まれ。岡山県都窪郡(つくぼぐん)早島の大地主で,韓国併合後は朝鮮でも農場を経営。中備銀行頭取,岡山合同貯蓄銀行,倉敷紡績の取締役などをつとめた。大正12年貴族院議員。昭和8年11月25日死去。57歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by