1910年8月22日の〈日韓併合に関する条約〉および同29日の〈日韓併合に関する宣言〉によって,朝鮮(当時の国号は大韓帝国)が日本の植民地にされたこと。韓国併合ともいう。今日常用されている〈併合〉という語は,このときに植民地支配の本質をおおい隠すために案出されたものである。いわく,〈韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となるの意を明らかにすると同時に,その語調の余りに過激ならざる文字を選ばんと欲し種々苦慮したるも,遂に適当の文字を発見すること能わず。依て当時未だ一般に用いられ居らざる文字を選ぶ方得策と認め,併合なる文字を……用いたり〉(倉知鉄吉覚書。小松緑《朝鮮併合之裏面》(1920)所収)。
明治政府は早くから〈征韓〉すなわち朝鮮の植民地支配を対外政策の重要課題としたが,それが実現されていく過程は侵略と戦争が拡大していく歴史にほかならなかった。明治政府が最初にもくろんだことは,朝鮮が独立国として強力になることを阻むことであった。朝鮮の富国強兵化をめざす開化派の計画が失敗したこと(1884年,甲申政変)は,日本政府に展望を与えるものであった。しかし,この政変と前後して,清国が朝鮮に対する宗主権を強化しはじめ,日本と対立するようになった。この清の影響力を排除するために仕組まれたのが日清戦争(1894-95)である。あらかじめ周到な準備をした日本がこれに大勝したが,それでも日本の朝鮮支配は実現しなかった。朝鮮政府や民衆の根強い抵抗は,ドイツ・フランス・ロシアの三国干渉とあいまって日本の行動を思うにまかせなかった。1896年2月には,朝鮮国王をロシア公使館に監禁するクーデタが起こり,朝鮮政府はロシアとの提携をはかるようになった。こうして,日本政府が朝鮮支配を追求するかぎり,日露戦争は避けられないものとなった。
1904年日露開戦にふみきると,日本政府はさっそく朝鮮植民地化の基礎固めに着手した。韓国政府に戦争協力を強要したうえで,政府要所へ日本人顧問を送りこみ露骨な内政干渉を行った(2月に日韓議定書,8月に第1次日韓協約)。そして05年春,日露戦争に勝利する見通しがつくと,韓国を日本の〈保護国〉とすることを決定し,同年11月,日韓保護条約(第2次日韓協約)を強制的に調印した。これから後の5年間は,保護国統治機関である韓国統監府の支配の下で朝鮮がしだいに植民地と化していった時期であった。朝鮮国王高宗は07年の万国平和会議に密使を派遣して,日本の支配の不当性を訴えようとしたが聞き入れられなかった(ハーグ密使事件)。それどころか,統監伊藤博文は国王を責めて退位させ,韓国軍を解散させた(第3次日韓協約)。09年10月,反日義兵闘争に対する大規模な〈討伐作戦〉が展開されている最中に,伊藤博文が安重根によってハルビン駅頭で射殺された。日本政府は軍隊(2個師団)と憲兵隊を常駐させ,最後の警察権をも韓国政府から奪って,10年8月,併合を断行した。ときあたかも満州の鉄道問題をめぐって日米の対立が激化した時期で,以降の日本による満州侵略の起点になるものでもあった。
〈併合条約〉は全文8ヵ条からなる。前文で日韓相互の幸福の増進と東洋平和の確保のための日韓併合であると唱い,本文で韓国の統治権を韓国国王が日本天皇に〈譲与〉し(1条),それを日本天皇が〈受諾〉して〈併合することを承諾〉した(2条)と規定しており,作為に満ちた文章である。この条約によって1392年から続いてきた朝鮮王朝(李朝)は滅亡した。植民地統治機関の朝鮮総督府が置かれ,寺内正毅が初代総督となった。併合前の愛国啓蒙運動や義兵闘争によって強められた朝鮮人の民族意識をおしつぶすために,寺内はきわめて暴力的な統治方式を採用した。朝鮮人の民族性を抹殺して収奪するこの圧政に対し,朝鮮の民衆は19年,三・一独立運動に決起してたたかうことになる。
→朝鮮総督府
執筆者:馬渕 貞利
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…そして,明治以降の日本では,前近代にみられる平和的,友好的な日朝関係や日本が朝鮮から受けた恩恵は無視されて,伝説にすぎない〈神功皇后の三韓征伐〉や,あからさまな侵略である倭寇とか,豊臣秀吉の対朝鮮戦争が日本の海外雄飛の事例として宣伝され,また,〈任那日本府〉などが,大和朝廷による南朝鮮植民地支配の疑う余地のない歴史的事実とされ,朝鮮を劣等視する蔑視観が醸成されることになった。朝鮮の植民地化(日韓併合)は,古代の〈偉業〉の復活であり,さらに原始・古代の日朝文化の共通性も〈日鮮同祖〉を示すもの(日鮮同祖論),日韓併合は分家が本家に戻るようなものとされるなど,ゆがめられた前近代の日朝関係史像は日本の朝鮮侵略,植民地支配に最大限に利用されたのである。日朝貿易【矢沢 康祐】
【日本の侵略と植民地支配】
自主的近代国家をめざす朝鮮社会の内在的発展の歩みは,開国前からすでに始動していた。…
※「日韓併合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新