朝日日本歴史人物事典 「滋岳川人」の解説
滋岳川人
生年:生年不詳
平安前期の陰陽家。もと刀岐直川人と称したが,斉衡1(854)年,陰陽権允兼陰陽博士正六位上であったときに滋岳朝臣の氏姓を賜った。陰陽権助,播磨権大掾,同権介などを歴任し,貞観16(874)年に従五位上陰陽頭兼陰陽博士安芸権介で没した。多くの著作をなし,『類聚国史』『本朝書籍目録』に『世要動静経』『滋川新術遁甲書』などの著書がみえるが,いずれも散逸して現在には伝わらない。また,『今昔物語集』24には,文徳天皇陵の選地の際,地神の追跡から呪を唱えて逃れた説話が収められており,後世,非凡な陰陽師として知られた。<参考文献>村山修一『日本陰陽道史総説』
(脊古真哉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報