滋岳川人(読み)しげおかのかわひと

朝日日本歴史人物事典 「滋岳川人」の解説

滋岳川人

没年貞観16.5.27(874.7.14)
生年:生年不詳
平安前期の陰陽家。もと刀岐直川人と称したが,斉衡1(854)年,陰陽権允兼陰陽博士正六位上であったときに滋岳朝臣の氏姓を賜った。陰陽権助,播磨権大掾,同権介などを歴任し,貞観16(874)年に従五位上陰陽頭兼陰陽博士安芸権介で没した。多くの著作をなし,『類聚国史』『本朝書籍目録』に『世要動静経』『滋川新術遁甲書』などの著書がみえるが,いずれも散逸して現在には伝わらない。また,『今昔物語集』24には,文徳天皇陵の選地の際,地神追跡から呪を唱えて逃れた説話が収められており,後世,非凡な陰陽師として知られた。<参考文献>村山修一『日本陰陽道史総説』

(脊古真哉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「滋岳川人」の解説

滋岳川人 しげおかの-かわひと

?-874 平安時代前期の陰陽師(おんようじ)。
はじめ刀岐直(ときのあたい)といい,仁寿(にんじゅ)4年(854)陰陽権允(ごんのじょう)兼陰陽博士のとき滋岳朝臣(あそん)の氏姓をあたえられる。のち陰陽頭(かみ)となり,安芸権介(あきのごんのすけ)をかねた。貞観(じょうがん)16年5月27日死去。著作に「世要動静経」「指掌宿曜経」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の滋岳川人の言及

【陰陽道】より

…藤原良房の進出した仁明・文徳朝(833‐858)ころよりこの傾向は著しく,藤原師輔は《九条殿遺誡》《九条年中行事》を著して多くの陰陽道的禁忌や作法を明示し,宇多天皇も《周易》に詳しかった。かくて滋岳川人(しげおかのかわひと),弓削是雄(ゆげのこれお)ら名人が輩出し,川人は多数の著作をのこし日本における陰陽道の基礎をつくった。平安中期に出た三善清行も易に通じ,辛酉の歳には革命,甲子の歳には革令があるとの中国の讖緯説(しんいせつ)(周期的予言説)をひいて改元を上奏し,年号を延喜とした。…

※「滋岳川人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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