草津(読み)クサツ

デジタル大辞泉 「草津」の意味・読み・例文・類語

くさつ【草津】[群馬県の地名]

群馬県北西部、吾妻郡の地名。標高約1200メートルの高原にある温泉町で、泉質は含アルミニウム泉硫黄泉酸性泉

くさつ【草津】[滋賀県の市]

滋賀県南部の市。東海道中山道の分岐点の宿場町として発達。人口13.1万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「草津」の意味・読み・例文・類語

くさつ【草津】

  1. ( 古くは「くさづ」か )
  2. [ 一 ] 滋賀県の南西部にある地名。琵琶湖の南東岸に面する。古来交通の要地として知られ、東海道、中山道の分岐点にあたる旧宿場町。現在は東海道本線草津線の分岐点。湖岸では淡水真珠の養殖が行なわれる。昭和二九年(一九五四)市制。
  3. [ 二 ] 群馬県北西部にある地名。白根山の東斜面に位置し、草津温泉がある。

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日本歴史地名大系 「草津」の解説

草津
くさつ

中島なかじま村・下鳥羽しもとば村・横大路よこおおじ村辺りの桂川にあった古代の津。桂川の流路が大きく変わっているため位置の確定はできないが、横大路村域内に現在草津の地名が残り、「京都府地誌」横大路村の項に、「古ヨリ横大路村ト称シ、又草津湊ト称ス」という伝承を載せる。

保元の乱後、崇徳上皇が讃岐へ配流された時も草津から船出したと思われ、「兵範記」保元元年(一一五六)七月二三日条に、

<資料は省略されています>

とみえ、古活字本「保元物語」(新院讃州に御遷幸の事并びに重仁親王の御事)は「鳥羽の南の門へやりいだす。

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改訂新版 世界大百科事典 「草津」の意味・わかりやすい解説

草津[市] (くさつ)

滋賀県南部の市。1954年草津町と志津,老上(おいがみ),山田,笠縫,常盤の5村が合体,市制。人口13万0874(2010)。古くから交通の要衝で,江戸時代には東海道と中山道の分岐点の宿場町としてにぎわい,現在も草津宿本陣(史)が残っている。琵琶湖岸の矢橋(やばせ)は近江八景の一つ〈矢橋の帰帆〉で知られる湖港で,東海道と連絡する湖上交通の要地として栄えた。市北端の芦浦にある観音寺は,中世末期から近世初期にかけて湖上交通の船奉行の権利が与えられていた寺で,現在も堀と石垣に囲まれ,多くの文化財を残している。農業は米作が中心であるが,市の南東部ではナシ,ブドウなどの果樹やカーネーションの栽培が盛んである。古くからの特産物としては傘の柄などに使われる竹根むち,ひょうたん,もみ紙などが知られている。1963年名神高速道路の栗東(りつとう)インターチェンジが開通して以来,電気機器,機械関係の工場進出が目ざましく,県下一の製造品出荷額(1995)をあげている。JR草津駅は東海道本線と草津線の乗換駅であり,京都,大阪方面への快速電車が通じているため,近年急速にベッドタウン化が進む。
執筆者:

東海道と中山道の分岐点にあたる近江国の宿駅。もと種津と書き,種々の物資が集散する津のような土地であったことからその名がついたという。室町時代,足利将軍が伊勢参宮の際,休憩,宿泊に利用した草津御所が設けられており,当時,宿駅として栄えていたことがうかがえる。江戸時代には東海道五十三次の中でも有数の大宿駅で,宿の中央部で中山道が分岐していた。1712年(正徳2)には品川,府中(駿府)とならんで貫目改所が設置された。1843年(天保14)当時,宿内町並み東西4町38間,南北7町15間半。人口2351,家数586,本陣・脇本陣各2,旅籠72を数えた(宿村大概帳)。宿場名物として姥が餅が有名。明治維新後,宿場としてのにぎわいはなくなったが,1889年東海道本線開通とともに草津駅が置かれ,その後草津線の分岐点ともなった。
執筆者:


草津[町] (くさつ)

群馬県北西部,吾妻(あがつま)郡の温泉町。人口7160(2010)。白根火山東斜面の標高1200mの高原中の小凹地に大温泉街がある。草津温泉の泉源は街のほぼ中央の湯畑(ゆばたけ)のほか100余ヵ所におよび,湧出量は毎分3万4000lで,鹿児島県の指宿(いぶすき)温泉に次ぐといわれる。湯畑は幅20m,長さ60mほどの石垣に囲まれた中から,大量の熱湯が湧出している。強酸性(pH1.5)のミョウバン緑バン泉で,泉温は60~67℃。開湯の歴史は古く,日本武尊が東征のおり発見したとか,養老年間(717-724)に行基が開いたとかいわれている。1193年(建久4)源頼朝が入湯したといわれ,泉源の一つの白旗の湯がそれだとされている。室町以降は文人,墨客の来訪が増え,江戸中期以降は花柳病の療治場,また子宝の湯としても利用され,幕末には〈草津千軒江戸がまえ〉といわれた。1878年ドイツの医学者ベルツが訪れ,湯の効能を高く評価した。第2次大戦後は湯治場から観光温泉地へと脱皮し,1964年の草津有料道路,70年の草津志賀高原ルートの完成で,来湯客が急増した。近年は温泉街からやや離れた高原上に豪華なホテルや大規模な保養・宿泊施設ができ,レジャーランドの様相を呈してきた。町域北端部の白根山の山頂近くまで,ロープウェーや高原ルートで行くことができる。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「草津」の意味・わかりやすい解説

草津(市)
くさつ

滋賀県南部、琵琶(びわ)湖東岸の市。1954年(昭和29)草津町と志津、老上(おいかみ)、山田、笠縫(かさぬい)、常盤(ときわ)の5村が合併して市制施行。市名は宿駅名に由来する。市域の南東部は更新世(洪積世)の丘陵、台地であるが、西部には広い沖積平野が広がる。平野を流れる草津川など河川のほとんどは典型的な天井(てんじょう)川である。草津川は堤防決壊の恐れがあるため、新しい草津川が開削され、2002年(平成14)に通水を開始、旧草津川は廃川となった。JR東海道本線(琵琶湖線)と草津線の分岐点にあたるほか、国道1号、名神高速道路、新名神高速道路が走る。南端では近江(おうみ)大橋で琵琶湖対岸の大津市丸の内町と結ばれている。古代から交通要衝の地で、近世には中山道(なかせんどう)を分岐する東海道の宿駅として大いに栄えた。草津宿本陣(国史跡)は現在も残る。また湖岸の矢橋(やばせ)は、近江八景「矢橋の帰帆(きはん)」で、また古くからの湖港として知られた。現在では京阪神大都市圏に組み込まれ、住宅地造成や近代的工場の進出が顕著である。平野部は江州米の産地で、また野菜、花卉(かき)栽培も盛んである。国指定重要文化財の阿弥陀(あみだ)堂、書院などをもつ観音寺をはじめ石津(せきしん)寺、西遊寺など古社寺が多い。面積は67.82平方キロメートル、人口14万3913(2020)。

高橋誠一

『『草津市史』全7巻(1981~1992・草津市)』



草津(町)
くさつ

群馬県西部、吾妻郡(あがつまぐん)にある温泉町。1900年(明治33)町制施行。白根火山(しらねかざん)東斜面中腹の温泉町が中心。西部は長野県に接する。ほぼ全域が標高1000メートル以上の高地で、年平均(8℃)、月別平均気温は北海道札幌によく似ている。山林、裸地が多くて耕地は少ない。かつての白根(しらね)、万座(まんざ)の両硫黄(いおう)鉱山は、公害防止に端を発した石油化学工業副産物の回収硫黄に押されて1971年(昭和46)閉山。湯川(ゆかわ)の酸性中和工場は、須川(すかわ)、吾妻川の水質改善に寄与している。草津温泉、草津熱帯園、草津温泉スキー場もあり、湯の花が名産。また、白根火山一帯は上信越高原国立公園に含まれている。町への観光客は年間269万人(2008)に及び、就業人口の90%近くが観光・サービス関連産業に従事している。面積49.75平方キロメートル(境界一部未定)、人口6049(2020)。

[村木定雄]



草津
くさつ

広島市西区の一地区。旧草津町。広島湾に臨み、古くから港津として知られた。江戸時代には広島藩の外港であり、また石見(いわみ)浜田藩の船屋敷が置かれた。江戸時代からカキの養殖が始まり、大坂へも牡蠣(かき)船を出していた。広島湾一帯のカキ、ノリの養殖業の中心であったが、近年沖合いが埋め立てられ、広島市の商工センター、中央卸売市場が置かれた。住吉(すみよし)神社内にカキ養殖法を完成させた記念碑「安芸国養蛎の碑(あきのくにようれいのひ)」が残されている。広島電鉄宮島線の草津、草津南駅などがある。

[北川建次]

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百科事典マイペディア 「草津」の意味・わかりやすい解説

草津[町]【くさつ】

群馬県北西部,白根山東麓を占める吾妻(あがつま)郡の町。中心は古来有名な温泉町で,泉源の湯畑を中心に旅館が発達。含硫化水素強酸性ミョウバン泉,60〜67℃で,湯量豊富,泉質がきついため,〈湯もみ〉が行われる。湯畑から湯の華(温泉華)を採取。草津節が伝わる。避暑地,スキー場,白根山登山口としても知られ,上信越高原国立公園に属する。吾妻線長野原草津口駅からバスが通じる。49.75km2。7160人(2010)。
→関連項目群馬[県]

草津[市]【くさつ】

滋賀県南部の市。1954年市制。中心市街は東海道と中山道が分岐する宿場町として発達,本陣(史跡)が残る。東海道本線と草津線の分岐点で,広い農村部を控え商業が活発。ナシ,ブドウなどの果樹を栽培するほか,温室栽培のカーネーションを京都へ出荷。名神高速道路の栗東インターチェンジ設置後は電気機器,鉄鋼などの工場進出が著しい。京都,大阪のベッドタウン化も進んでいる。ヒョウタンが特産。琵琶湖岸は琵琶湖国定公園に属する。1993年に琵琶湖がラムサール条約登録湿地となる。67.82km2。13万874人(2010)。

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事典・日本の観光資源 「草津」の解説

草津

(滋賀県草津市)
東海道五十三次」指定の観光名所。

草津

(滋賀県草津市)
中山道六十九次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「草津」の解説

草津

滋賀県草津市にある道の駅。県道近江八幡大津線に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の草津の言及

【温泉】より

… 1温泉地当りの湧出量は毎分4万l程度が上限である。草津3万4240l/min,別府2万2200l/min,箱根1万8474l/min,熱海1万6290l/min,蔵王1万5000l/min,登別1万0390l/minなどが日本の湧出量の大きい温泉地である。プレート生産地帯ではマグマの生産量がプレート沈み込み地帯の数倍に達しているので,降水量や地質条件に恵まれていると大きな温泉湧出量を示すことになる。…

【草津[町]】より

…白根火山東斜面の標高1200mの高原中の小凹地に大温泉街がある。草津温泉の泉源は街のほぼ中央の湯畑(ゆばたけ)のほか100余ヵ所におよび,湧出量は毎分3万4000lで,鹿児島県の指宿(いぶすき)温泉に次ぐといわれる。湯畑は幅20m,長さ60mほどの石垣に囲まれた中から,大量の熱湯が湧出している。…

※「草津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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