滝乃川学園(読み)たきのがわがくえん

改訂新版 世界大百科事典 「滝乃川学園」の意味・わかりやすい解説

滝乃川学園 (たきのがわがくえん)

日本最古の精神遅滞児収容施設。1891年立教女学校の教頭であった石井亮一が,濃尾地震によって家を失い,両親を亡くした女子の養育のために,日本聖公会,アメリカ聖公会の援助も得ながら,自宅に〈聖三一孤女学院〉として創設院生のなかの知能に障害をもつ児童の指導に苦心を重ねていくうちに精神遅滞児への関心が強まり,渡米してその保護・教育事業を視察,研究(E.O.セガンの生理学的教育など)した。石井はその成果をもとに,1906年同院を東京市滝野川村に移転,滝乃川学園と改称し,精神遅滞児のための専門施設として出発させた。東京府児童研究所の業務を委託されたほか,精神遅滞児の保母養成なども行い,第2次大戦前の精神遅滞児保護・教育事業の発展に指導的役割を果たした。1928年には現在地の国立市谷保に移転した。52年社会福祉法人となり,現在は成人精神遅滞者をも収容している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の滝乃川学園の言及

【石井亮一】より

…日本最初の精神遅滞者施設滝乃川学園の創設者。日本の精神遅滞者福祉の父と称すべき人。…

【障害者教育】より

…しかし78年には最初の盲啞学校として京都盲啞院(古河太四郎らによる)が設立された。また精神遅滞児教育についてはアメリカにわたってセガンの思想にふれた石井亮一が,東京の北区滝野川に開設した〈滝乃川学園〉を嚆矢(こうし)とし,肢体不自由児教育は1932年各種学校に類する小学校として設置された東京市立光明学校がその最初である。こうして日本の障害児教育は,そのいずれもが欧米の動きに約100年おくれて出発した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」