澄禅律院(読み)ちようぜんりついん

日本歴史地名大系 「澄禅律院」の解説

澄禅律院
ちようぜんりついん

[現在地名]日野町平子

平子ひらこの澄禅山の山頂丸茅野まるがやのにある。単立。南天山と号し、本尊阿弥陀如来。相模国小田原より当地に移った澄禅が開基となって元禄一二年(一六九九)に草創された。享保元年(一七一六)まで念仏道場として近在の信仰を集め(「澄禅和尚絵詞伝」寺蔵)、澄禅に師事した日野岡本おかもと町の商人中井源左衛門が同仕出しで町の絵師高田敬輔に当寺の庵室図を描かせ、のち開版もしている(蒲生郡志)。享和三年(一八〇三)から二年間紀州日高ひだか郡出身の徳本が当寺にとどまり、近在の人々に念仏を広めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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