日本歴史地名大系 「平子村」の解説 平子村ひらこむら 広島県:比婆郡西城町平子村[現在地名]西城町平子大佐(おおさ)村の南に位置し、西城川を隔てて西から北西は栗(くり)村と接する。北東の保田(やすだ)村(現東城町)の長谷(ながたに)に発する長谷川は奥名(おぐな)で西城川に注ぐ。東の始終(ししゆう)村(現東城町)から流入する大滝(おおたき)川(現大谷川)は小滝(こたき)川・馬場瀬(まばせ)川・西(にし)川などの谷川を合わせ、四天蓋(してんがい)山(七三八メートル)北東麓で深い谷をなし、青(あお)がけで西城川に注ぐ。険しい山と深い谷が多く、耕地は主として四天蓋山北麓の土井原(どいはら)と前記の奥名にある。枝郷として村内東方に丑之河(うしのこう)、四天蓋山東麓に竹垣内(たけのがあち)(現竹之河内)、同山南東に馬場瀬があるが、谷間で耕地は狭少である。備中新見路・東城路が三上(みかみ)郡高(たか)村(現庄原市)境の高取峠(たかとりだお)から入り、西城川沿いに北上し、大佐村境の塩の谷(しおのたに)へ抜ける。奥名の鏡山(かがみやま)遺跡から縄文晩期の磨製石斧、同上陰地(かみおんじ)遺跡から弥生中期の磨製石斧が出土した。 平子村ひらこむら 滋賀県:蒲生郡日野町平子村[現在地名]日野町平子南蔵王(みなみざおう)村の東、日野川最上流域の山間に位置し、北東は熊野(くまの)村。村の南東端の平子峠を越えて甲賀郡土山(つちやま)村(現土山町)と結ばれる。同峠は近江湖東地方から伊勢路へ出る古くからの要路で、峠下の大河原(おおかわら)村(現土山町)で南下して鈴鹿峠へ通じる道や同村から東へ向かい伊勢国大久保(おおくぼ)村(現三重県鈴鹿市)へ抜ける大河原越(武平峠越とも)などが通じていた。江戸時代初頭は幕府領であったが寛永一〇年(一六三三)山城淀藩領となり、以後領主の変遷は野田(のだ)村に同じであったと考えられる。 平子村ひらこむら 滋賀県:甲賀郡土山町平子村[現在地名]土山町平子野上野(のがみの)村の東にあり、西を松尾(まつお)川(野洲川)が南流する。慶長五年(一六〇〇)幕府領。元禄郷帳では旗本水野領とある。慶長七年の検地帳(平子区有文書)では高一八二石余、反別二九町一反余。寛永石高帳でも同高で、慶安二年書上はその内訳を田三〇石余・畑屋敷六八石余・永荒八三石余と記し、畑優位の村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by