日本大百科全書(ニッポニカ) 「濃尾用水」の意味・わかりやすい解説
濃尾用水
のうびようすい
濃尾平野の農業用水。用水事業の着工は1957年(昭和32)、完成は1975年、受益農地面積約1万9000ヘクタール(岐阜県羽島(はじま)用水分1700ヘクタールを含む)という大事業であった。木曽(きそ)川の河床低下による取水困難と限りある水資源を有効に利用するための事業で、犬山城下に木津(こつ)、宮田、羽島三用水の合口(ごうぐち)ダムをつくり、用水路は用排水分離、パイプライン方式によって、農業用水利用の効率化を図った。木曽川左岸の尾張(おわり)平野の農業開発は17世紀初期、宮田用水(1608)、般若(はんにゃ)用水(同)、木津用水(1648)によって進展した。しかし近代になって、取水口が別々なうえに河床低下による取水困難が起きて合口ダムが必要となり、他方都市化の進行で水質汚濁が激しくなったため、用水事業が始められた。
[伊藤郷平]