宮田用水(読み)みやたようすい

日本歴史地名大系 「宮田用水」の解説

宮田用水
みやたようすい

木曾川に取水し、尾張北部・西部一円にわたる約一万三千ヘクタールを灌漑する用水。後年の宮田用水の主幹線の一つ大江おおえ用水を、一一世紀初めの尾張守大江匡衡が開いたという伝説には確証はないが、木曾川筋から分れた水路が現一宮市域を貫流して、ほぼ宮田用水の灌漑地に重なる地に水を注いでいたのは、古くからであった。ただし、明治一九年(一八八六)宮田井組水利土功会発足時の中島郡長演説で「人力ノ以テ水ヲ求メタルニ非ズ、国土ト倶ニ造化自然ノ賚ニシテ」と説かれ、「古ヘ木蘇きそ八流」の一つ大野おおの川が宮田用水であるとされるように、木曾川の自然分流を利用したにとどまる。一七世紀初め、尾張藩による木曾川築堤と杁の設置によって、自然分流に代わる用水が成立した。

慶長一四年(一六〇九)酉二月一八日付で、伊奈備前守忠次・彦坂九兵衛光正・原田右衛門守次・寺西藤左衛門昌吉が、葉栗郡大野村(現一宮市)才兵衛・惣右衛門に宛てた羽栗郡大野村杁守給之事(地方古義)大野杁の開設を示し、丹羽郡岩手いわて(現扶桑町)般若はんにや杁の開設は「地方古義」では元和五年(一六一九)出来たとするが、慶長一三年すなわち尾張での杁の最古とする説もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宮田用水」の意味・わかりやすい解説

宮田用水
みやたようすい

愛知県尾西,海部地区の農業用水木曾川の水を犬山市犬山頭首工で取り入れて,名古屋,一宮,稲沢津島の各市,海部,西春日井の各郡の水田を灌漑している。慶長 13 (1608) 年頃建設といわれ,その後,導水,配水増大など寛政年間 (1789~1801) に改造工事が行なわれたという。宮田用水土地改良区によって維持管理される。

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旺文社日本史事典 三訂版 「宮田用水」の解説

宮田用水
みやたようすい

愛知県北部の宮田から木曽川の水を引いて尾北・尾西地域を灌漑した用水
愛知県の沿海部は内海性の気候降雨量が少ないため,米作農業の発展のためには灌漑用水施設を不可欠とした。濃尾平野では,木曽川から引水する宮田用水や木津用水により水田化が進められた。現在では濃尾用水一部となっている。

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世界大百科事典(旧版)内の宮田用水の言及

【木曾川】より

…濃尾平野は東高西低の地形をなし,木曾,長良,揖斐(いび)の3河川が集まる西濃地方には,洪水の被害を避けるために宅地や耕地のまわりに堤防をめぐらした輪中(わじゆう)集落が卓越する。 木曾川の水は古くから灌漑用水として利用され,17世紀初めには,大野村(現,一宮市浅井(あざい))に設置された大野杁(おおのいり)をもととする宮田用水ができ,以後,般若,木津など多くの用水が設けられた。最近になってこれら用水の取水が,犬山から下流の河床低下により困難になってきた。…

※「宮田用水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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