瀬世村(読み)せせむら

日本歴史地名大系 「瀬世村」の解説

瀬世村
せせむら

[現在地名]知覧町瀬世

永里ながさと村の南西に位置し、永里川が西流する。「三州御治世要覧」によると、京竿(文禄検地)の節に永里村に合併し、のち分村したという。瀬々・世々とも記された。中世知覧院に属した。元亨三年(一三二三)三月四日の頴娃久純請文(山田氏系図)に山田氏の土地相論の際の証人として「世々彦三郎忠行」の名がみえ、当地名字の地とした知覧郡司の一族とみられる。同四年三月八日の平忠世和与状(旧記雑録)によると、知覧院鎮守開聞中宮ちゆうぐう大明神(現豊玉姫神社)の神領として「世々明神敷地」などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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