瀬尾昌琢(読み)せお・しょうたく

朝日日本歴史人物事典 「瀬尾昌琢」の解説

瀬尾昌琢

没年享保3.6.29(1718.7.26)
生年正保2(1645)
江戸前期の紅毛流外科医。諱は淳範。京都生まれ。寛文7(1667)年長崎出島のオランダ商館医アーノルド・ディルクセンから医学修業証書(京大図書館所蔵)を授けられている。これには阿蘭陀通詞西吉兵衛,名村八左衛門,本木庄太夫(良意)ら7人の署名捺印と検使役人の署名,花押があり,蘭医と日本人医師との接触,医術伝授の物々しさと薬法,医術の秘伝化が行われていたことがうかがわれる。この体験は『外科心鏡集』(1667)にまとめられた。のち江戸に出て幕府の奥医師となり,月俸30口を賜る。最新の西洋医学の学習で出世した医師。<参考文献>古賀十二郎『西洋医術伝来史』

(蒲原宏)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「瀬尾昌琢」の解説

瀬尾昌琢 せお-しょうたく

1645-1718 江戸時代前期-中期の医師。
正保(しょうほ)2年生まれ。長崎出島のオランダ商館医に外科術をまなぶ。寛文7年アーノルド=ディルクセンから修業証書として伝授書「阿蘭陀(オランダ)流十八方膏薬」をあたえられた。貞享(じょうきょう)元年(1684)幕府奥医師となる。享保(きょうほう)3年6月29日死去。74歳。京都出身。名は淳範。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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