瀬玉湊・早町湊(読み)せたまみなと・そうまちみなと

日本歴史地名大系 「瀬玉湊・早町湊」の解説

瀬玉湊・早町湊
せたまみなと・そうまちみなと

[現在地名]喜界町早町

喜界島の東海岸の北部にあった湊。同一の湊で、史料には瀬玉湊とも早町湊ともみえる。砂糖の積出しや代官所役人の赴任など鹿児島藩御用の湊で(「喜界島代官記」明和二年条など)、瀬玉の伝説などから港津の機能は琉球王国時代にさかのぼると考えられる。正保琉球国絵図には当地辺りに「大船出入なし」と記載される。明和二年(一七六五)・享和元年(一八〇一)・嘉永六年(一八五三)などに代官・付役らは「瀬玉湊」に着船している。文政二年(一八一九)などに蔵方目付・横目らは「早町湊」に着船、天保一三年(一八四二)にも蔵方目付が早町湊に着船している(以上「喜界島代官記」)。なお文政九年横目の有田次郎左衛門が着岸している「東湊」とは早町湊か。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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