日本歴史地名大系 「瀬越村」の解説 瀬越村せごえむら 石川県:加賀市瀬越村[現在地名]加賀市大聖寺瀬越町(だいしようじせごえまち)大聖寺川の下流右岸、塩屋(しおや)村の東に位置する。文明五年(一四七三)八月二日の蓮如御文に「越前ノ国加賀ザカヒ、ナガエ、セゴエノ近所ニ、細呂宜郷ノ内吉崎トヤランイヒテ」とみえ、蓮如逗留地の吉崎(よしさき)道場(現福井県金津町)は大聖寺川を隔てて対岸にあり、その距離約一・三キロ。当地一帯は近世竹(たけ)の浦と称し、中世以来の海陸交通の要地で、塩屋村・吉崎(よしざき)村とともに三ヶ浦といわれ、北前船の根拠地であった。当地の亭彦八家は寛永一六年(一六三九)大聖寺藩主より船裁許を命ぜられ、入津貨物口銭の四分を得分とすることを許された(「定書」亭文書)。北前船主としては広海二三郎家が最も古く、文禄二年(一五九三)若狭敦賀までの小回りを業としている(同年八月五日「諸役免状」広海文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by