日本歴史地名大系 「瀬高下庄村」の解説 瀬高下庄村せたかしものしようむら 福岡県:山門郡瀬高町瀬高下庄村[現在地名]瀬高町下庄(しものしよう)・上庄(かみのしよう)瀬高上庄村の東、矢部(やべ)川東岸にある。ほぼ東西に通る薩摩街道に沿って形成された宿場町。村名は中世の瀬高下庄に由来する。天正一五年(一五八七)八月一二日立花統虎(宗茂)が大和熊若に宛行った二〇町の地のうちに「瀬高下ノ庄ひの口原」五反などが含まれていた(「立花統虎坪付」今村家文書)。同年九月三〇日に安東紀伊入道(家忠)に宛行われた瀬高下庄内一六町の地は長島(おさじま)村庄屋抱であった(「立花統虎坪付写」安東家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by