朝日日本歴史人物事典 「灰屋三郎助」の解説
灰屋三郎助
生年:文化7(1810)
江戸後期の商人。姓は橋本。屋号は灰屋,幼名太吉,のち長左衛門,さらに三郎助と改名。諱は正義。黍庵と号す。備後国尾道町(尾道市)の江戸初期以来の有力商人灰屋次郎右衛門家の9代目の当主。北国問屋を営み,嘉永年間(1848~54)問屋役場頭取に就任。国事に関心を示し,藩益優先の立場から広島藩府に長文の建白書を提出している。また,同藩尊攘派の志士池田徳太郎と親交があり,経済的援助を行うとともに,長州出兵の無益さなど国事に関連して池田に種々の意見を述べている。現在,金光図書館(岡山県金光町)には三郎助の日記や手控が収蔵されている。<参考文献>青木茂『新修尾道市史』,中山富広「幕末・維新期における『経済的集中』と地域商業資本」(『史学研究』178,188号)
(渡辺則文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報