灰方村(読み)はいがたむら

日本歴史地名大系 「灰方村」の解説

灰方村
はいがたむら

[現在地名]西京区大原野おおはらの灰方町

善峰よしみね川上流に位置。北は大原野村、東は上里かみざと上羽うえば各村と井内いのうち粟生あお各村(現長岡京市)に、南は長法寺ちようほうじ奥海印寺おくかいいんじ各村(現長岡京市)に接し、西は小塩おしお長峰ながみね各村に接する。

明治二五年(一八九二)の陸地測量部仮製地図によると、村の南端は現在の長岡京市粟生地区に食込んでいたようである。中世の灰方庄の庄域。地名石灰を焼いて貢していたことによるといわれる(山州名跡志・山城名勝志)

享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳によれば、村高五七二・八石余のうち、一五八・六石余が閑院宮家、一〇〇石が瑞雲院領、九二・八石余が今大路氏領、八〇石が唐橋家領、右近御局・伯耆御局の女官が各五〇石、金蔵こんぞう寺二三・七石余、禁裏御料一七・六石。


灰方村
はいがたむら

[現在地名]燕市灰方

関崎せきさき村の南西にあり、北は松橋まつはし村の耕地に接する。開発は嘉左衛門ら五人という(小中川村誌)。天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)に「山吉孫右衛門尉知行 福島村・はい潟村・はり山筒井・曲通高木こうや共ニ」とあり、また「馬場四郎左衛門尉分」として「はいかた村」と記される。元和六年(一六二〇)の三条御引渡郷村帳(幸田重寛氏文書)は灰方村とし三三石七斗余。同九年幕府領となり、正保国絵図は灰潟村とし一〇一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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