燕市(読み)ツバメシ

デジタル大辞泉 「燕市」の意味・読み・例文・類語

つばめ‐し【燕市】

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日本歴史地名大系 「燕市」の解説

燕市
つばめし

面積:三九・九二平方キロ

越後平野の中央に位置し、西は西蒲原にしかんばら吉田よしだ町・分水ぶんすい町、北は同郡中之口なかのくち村に接し、東から南にかけては三条市と境を多くし、一部白根しろね市および南蒲原郡さかえ町に接する。市域南端付近で信濃川と中ノ口川が分流し、市街中心は中ノ口川右岸にある。市の東部を北陸自動車道と上越新幹線が走り、南東部に三条燕インターチェンジ、三条市との境域に燕三条駅がある。市域ほぼ中央部を東西に国道二八九号・国鉄弥彦線が通り、新潟市へは新潟交通電鉄がある。

明応六年(一四九七)一二月一三日の水原憲家譲状(大見水原氏文書)に憲家が嫡子又三郎(景家)に譲った五ヵ所の所領の一つに「津波目分」とある。

〔古代・中世〕

集落は旧信濃川の自然堤防上に形成され、中ノ口川を挟み信濃川と西にし川の間の微高地は中世末から近世初期にかけて河(川)中島と称された。長所ちようしよなどから平安期から中世期の土師器須恵器、中世陶器の出土がみられる。

天正五年(一五七七)の三条衆給分帳(市川浩一郎氏蔵)によれば山吉豊守の動員兵力の中核三条衆のうち山吉氏一族(同名衆)の孫右衛門が「はい潟村」、山吉掃部は「福田之関所」(現八王寺付近)、同心家風衆白川彦八郎は「太田村・とゝろ木村・そまき・こ関村」、馬場四郎左衛門は「はいかた村」、椎野彦七郎は「八王子」、長井喜兵衛は「小中川」、小鷹孫三郎は「小高村」に知行地をもつ。長所・杣木そまぎ八王寺はちおうじ杉名すぎなの館跡は山吉氏一族や在地土豪層の居館と考えられ、天正六年の御館の乱で反上杉景勝勢力として働き、三条城将神余親綱とともに景勝に滅ぼされたものもあったと考えられる。近世の史資料には大槻おおつき庄内として井土巻いどまき・八王寺・蔵関くらせき大関おおせき小関こせき・杣木・児木ちごのきの名がみえ(文政五年「三条町往古役之事」北方文化博物館蔵など)弥彦やひこ庄内として小関(寛永一六年「木仏免状裏書」西福寺蔵)福雄ふくお庄として杉柳すぎやなぎ・杉名・柳山やなぎやま(三条町往古役之事)の地名がみえる。


燕市
つばめし

2006年3月20日:燕市と西蒲原郡分水町吉田町合併
【分水町】新潟県:西蒲原郡
【吉田町】新潟県:西蒲原郡
【燕市】新潟県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「燕市」の意味・わかりやすい解説

燕〔市〕
つばめ

新潟県中部,新潟平野の西部にある市。 1954年燕町と小池村,小中川村松長村の3村が合体して市制施行。 1955年三条市の一部を編入。 2006年吉田町,分水町と合体。中心市街地は,かつては津波目と書き,信濃川が形成した三角州の自然堤防上の古い舟着場であった。近世中期,三条市の影響を受けて農村副業の和釘の製造を開始。元禄年間 (1688~1704) からやすり,矢立て,キセル製造の家内工業,さらに花器,火鉢などの独占的な産地として知られるようになった。第1次世界大戦の頃洋食器づくりに転換,第2次世界大戦後ステンレス金属食器興隆後は全国生産のほとんどを占め,その大部分輸出。ゴルフ用具,ミシン部品,農機具,プラスチック成型加工など新しい金属工業分野にも進出している。東部の国上山 (くがみやま) には国上寺 (こくじょうじ) ,良寛ゆかりの五合庵があり,一帯は佐渡弥彦米山国定公園に属する。上越新幹線,JR弥彦線,越後線,国道 116号線,289号線が通り,北陸自動車道の三条燕インターチェンジがある。面積 110.94km2(境界未定)。人口 7万7201(2020)。

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