日本歴史地名大系 「三入庄」の解説
三入庄
みいりのしよう
荘域は
保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に石清水八幡宮寺領として安芸国の「三入保」が記される。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)には京都
承久三年(一二二一)九月六日の関東下知状(熊谷家文書)で、武蔵国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
荘域は
保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に石清水八幡宮寺領として安芸国の「三入保」が記される。養和元年(一一八一)一二月八日の後白河院庁下文案(新熊野神社文書)には京都
承久三年(一二二一)九月六日の関東下知状(熊谷家文書)で、武蔵国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
広島市安佐北区可部(かべ)町にあった新熊野社領の荘園(しょうえん)。「みいりのしょう」「みるのしょう」ともいう。荘域は明確ではないが、太田川の支流根之谷川、桐原(とげ)川沿いの上屋町、下屋町および桐原を中心に存在したと推定される。熊谷直家(くまがいなおいえ)の孫直国が承久(じょうきゅう)の乱(1221)に討ち死にし、その勲功として直国の子直時に三入庄地頭職が与えられ、以後熊谷氏の中核的所領となった。1235年(嘉禎1)の惣領(そうりょう)直時と義弟祐直(すけなお)とによる三入庄地頭得分(とくぶん)の分割に伴う注進状によれば、田地55町70歩、畠地19町7反300歩、栗(くり)林6町300歩、狩蔵山(かりくらやま)のほか荘内諸社として、八幡宮(はちまんぐう)、大歳神(たいさいじん)、崇道(すどう)天皇、新宮(しんぐう)、今宮(いまみや)、山田別所(べっしょ)、若王子(にゃくおうじ)宮などの存在したことが知られる。南北朝内乱を経て、直時の孫直経(なおつね)は惣領として三入庄に定着し、国人(こくじん)領主として支配を展開していった。
[鈴木哲雄]
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