20世紀日本人名事典 「熊谷直亮」の解説 熊谷 直亮クマガイ ナオスケ 明治・大正期の新聞記者 生年文久3年(1863年) 没年大正9(1920)年12月12日 出身地熊本県 経歴熊本藩士・津田信弘の子として生まれ、のち熊谷家を継ぐ。幼くして藩黌・時習館に学び、長じて共立学舎に入り徳富淇水や兄・静一らの薫陶を受けた。明治17年中国に渡り、芝罘(煙台)で中国語を修め、日清戦争・日露戦争に通訳官として従軍。のち「国民新聞」京城特派通信員、「京城日報」記者を務め、平壌民団長となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊谷直亮」の解説 熊谷直亮 くまがい-なおすけ 1863-1920 明治-大正時代の通訳官,新聞記者。文久3年生まれ。肥後熊本藩士津田信弘の子。津田静一の弟。熊谷家をつぐ。共立学舎にまなぶ。明治17年中国にわたり,芝罘(チーフー)(煙台)で中国語をおさめ,日清(にっしん)・日露戦争に通訳官として従軍。のち「国民新聞」京城特派通信員,「京城日報」記者となった。大正9年12月12日死去。58歳。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by