片多徳郎(読み)カタタ トクロウ

20世紀日本人名事典 「片多徳郎」の解説

片多 徳郎
カタタ トクロウ

明治〜昭和期の洋画家



生年
明治22(1889)年6月24日

没年
昭和9(1934)年4月28日

出生地
大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)

学歴〔年〕
東京美術学校西洋画科

経歴
美校存学中、文展に初出品して入選以後、大正6年の第11回展で「妓女舞踊図」が特選、7年帝展に出品の「花下月人」も特選となった。さらに8年の「霹靂」で推薦となり、33歳で帝展審査員に挙げられた。昭和4年「秋果図」、7年「秋果一枝」を帝展に出品、晩年明治神宮絵画館の壁画「憲法発布観兵式行幸啓図」を描いた。しかし酒に心身を害し、45歳で自殺した。絶筆となった「風景」のほか「夜の自画像」「黄菊自菊」「或る人の母」「婦女沐浴」「精神病者」「郊外の春」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「片多徳郎」の解説

片多徳郎 かただ-とくろう

1889-1934 明治-昭和時代前期の洋画家。
明治22年6月24日生まれ。東京美術学校(現東京芸大)在学中に文展に入選,同展で「伎女舞踏の図」「花下竹人」が2年連続特選を受賞。第1回帝展で「霹靂(へきれき)」が推選となる。大正8年牧野虎雄らと新光洋画会を創立。昭和9年4月27日自殺。46歳。大分県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「片多徳郎」の解説

片多 徳郎 (かただ とくろう)

生年月日:1889年6月24日
明治時代-昭和時代の洋画家
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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