日本歴史地名大系 「片江村」の解説 片江村かたえむら 福岡県:福岡市城南区片江村[現在地名]城南区片江一―五丁目・片江・南片江(みなみかたえ)一―六丁目・西片江(にしかたえ)一―二丁目・友丘(ともおか)二―六丁目・神松寺(しんしようじ)一―三丁目・松山(まつやま)一丁目東油山(ひがしあぶらやま)村の北西にあり、東は堤(つつみ)村・下長尾(しもながお)村、西は梅林(うめばやし)村・七隈(ななくま)村。南部は油山から北へ延びる丘陵部で、南の鳥越(とりごえ)に発した小川(片江川)が北流して田島(たしま)川(樋井川)に落ちる。樋井(ひい)郷一〇ヶ村の一。文明一〇年(一四七八)九月二五日の大内政弘宛行状(正任記)に「片江村」とみえ、飯田加賀守家勝跡である同村の三町の地が安富遠江守(尭祐)に宛行われた。同年一〇月一八日には同じく飯田加賀守跡の「片江郷村」三町が曾我新蔵人房資に宛行われている(「大内政弘下文案」同書)。 片江村かたえむら 大阪府:大阪市生野区片江村[現在地名]生野区小路(しようじ)一―二丁目・新今里(しんいまざと)一―二丁目・同四丁目・同六丁目、東成(ひがしなり)区大今里南(おおいまざとみなみ)二―六丁目など東成郡に属し、猪飼野(いかいの)村の東にある。北の村境近くを奈良街道(暗峠越)が通り、西境を平野川の支川が流れる。平坦で低地が多い。古代には玉造(たまつくり)江の一部をなす沼沢地であったため、もとは浜江(はまえ)と称したという(東成郡誌)。「四天王寺御手印縁起」に没収された物部守屋の所領があげられるが、このうちの摂津国「摸江」は当地にあたるという(摂陽群談)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by