牛地村
うしじむら
[現在地名]旭町牛地
矢作川の左岸。昭和四六年(一九七一)の矢作第一ダム造成工事により、河岸段丘上にあった集落の大部分は奥矢作湖底に水没。現在、川下にわずかな人家を残す。東は現北設楽郡稲武町、南は田津原村・日下部村、西は高蔵村・小滝野村、北は奥矢作湖を隔てて現岐阜県恵那郡串原村に接する。矢作川左岸を現県道大野瀬―小渡線が通る。
縄文時代の遺跡が多く、河岸段丘上の前期の大麦田遺跡、中期の万場垣内遺跡・前畑遺跡、舌状丘陵頂部に立地した中期の久保田遺跡などがあった。久保田遺跡からは弥生時代前期の遺物も出土。駒山城とされる城跡が小馬寺のある駒山山頂にある。寺が城郭として使用されたものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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