日本歴史地名大系 「牛込喜久井町」の解説 牛込喜久井町うしごめきくいちよう 東京都:新宿区旧牛込区地区牛込喜久井町[現在地名]新宿区喜久井町(きくいちよう)明治二年(一八六九)牛込馬場下(うしごめばばした)横町・牛込供養塚(うしごめくようづか)町と誓閑(せいかん)寺・西方(さいほう)寺・来迎(らいごう)寺・浄泉(じようせん)寺の各門前町屋を合せて成立。同五年に元美作津山藩松平氏の下屋敷や士地・開墾地を編入。喜久井町の町名は牛込馬場下横町の旧家夏目小兵衛家の紋所、井桁の中の菊花にちなんでいる。誓閑寺は浄土宗で亀鶴山易行院と号し、深川霊巌(れいがん)寺の末寺で、寛文六年(一六六六)に当地へ建立された(寺社書上)。西方寺は浄土宗で両宝山天照院と号し、芝増上寺の末寺。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by