牛込弁天町(読み)うしごめべんてんちよう

日本歴史地名大系 「牛込弁天町」の解説

牛込弁天町
うしごめべんてんちよう

[現在地名]新宿区弁天町べんてんちよう

明治五年(一八七二)牛込弁財天うしごめべんざいてん町と根来組屋敷などの旧武家地や宗参そうさん寺・鳳林ほうりん寺・千手せんじゆ院・浄輪じようりん寺・多聞たもん院・仏性ぶつしよう寺・久成くじよう寺・宝龍ほうりゆう寺の境内地を合せて成立。編入された寺地一帯は、俗に七軒寺しちけんてら町ともよばれた。宗参寺を除いた前出七ヵ寺は、かつては牛込御門外の堀端辺にあったが、境内を御用地に召上げられたため、寛永一二年(一六三五)に当地に引移ってきた。このことが七軒寺町とよばれた由来(「寺社備考」など)。新義真言宗千手院は慶長一二年(一六〇七)平川ひらかわ(現千代田区)起立、同所が寛永四年御用地となったため牛込揚場うしごめあげば町に移ったが、ここも同九年に御用地となったため、同一二年に当地に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む