安土(あづち)桃山時代の武将。近江(おうみ)国(滋賀県)蒲生郡日野(ひの)中野城に生まれる。父は同城主蒲生賢秀(かたひで)。幼名鶴千代(つるちよ)。1568年(永禄11)人質として岐阜の織田信長のもとに送られ、元服して忠三郎賦秀(やすひで)(85年ころ氏郷と改名)と称し、翌69年冬、信長の娘と結婚し日野に帰った。以後信長の臣として各地に転戦、83年(天正11)豊臣(とよとみ)秀吉に従い、同年飛騨守(ひだのかみ)に補任(ぶにん)。84年小牧(こまき)・長久手(ながくて)の戦いなどの功により伊勢(いせ)松ヶ島(松阪市)12万石を与えられてここに移る。86年従四位下(じゅしいのげ)侍従。88年正四位下左近衛権少将(さこんえのごんのしょうしょう)に進み、羽柴(はしば)姓を許される。同年松坂城を築きここに移る。90年小田原征伐に従軍、同年8月会津に転封となり、73万石(文禄(ぶんろく)3年検地で92万石)を得て黒川城に入り、92年(文禄1)黒川を若松(わかまつ)と改名し、城と城下町の建設を進めた。94年従三位(じゅさんみ)参議に叙任。93年肥前名護屋(なごや)参陣中に下血(げけつ)を病んだが、94年10月秀吉を京都・伏見(ふしみ)邸に迎えてからまもなく病床に伏し、翌95年(文禄4)2月7日死去した。墓所は京都・大徳寺(だいとくじ)昌林院(しょうりんいん)(現在、黄梅院管理)。和歌をよくし、茶道のたしなみも深かった。武勇に優れ、千利休(せんのりきゅう)は彼を日本で一、二の大名と評したという。日野→松ヶ島→松坂→若松と城下町商工業者を引き移したことも、その楽市(らくいち)・楽座令とともに知られている。
[小林清治]
『『会津若松史2』(1965・会津若松市)』▽『今村義孝著『蒲生氏郷』(1967・人物往来社)』
(伊藤清郎)
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安土桃山期の武将。幼名鶴千代,のち忠三郎。実名は教秀,賦秀(やすひで)のち氏郷。従三位参議。近江蒲生郡日野城主蒲生賢秀の子。はじめ織田信長に仕え,その妹を妻とした。本能寺の変に際し,信長夫人生駒氏を日野城に迎え,功により秀吉から明智光秀欠所地の一部を,ついで伊勢亀山城を与えられた。1584年小牧・長久手の戦などの功により伊勢松ヶ島12万石を賜り,85年賦秀を氏郷と改めた。86年従四位下侍従,87年羽柴姓を許され,88年正四位下左近衛少将に進み,伊勢松坂城に移った。90年小田原従軍の功により会津黒川城主となり,翌年の加増で会津73万石(文禄の高は92万石)を領し,徳川,毛利につぐ大大名となった。92年(文禄1)黒川を若松と改め,居城と城下町の整備を進めた。95年2月7日死去,大徳寺昌林院に葬られた。秀吉による毒殺説もあるが確証はない。利休七哲の筆頭とされ,和歌にもすぐれており,〈日本一,二の大名〉と評された。
執筆者:小林 清治
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1556~95.2.7
織豊期の武将。父は近江国蒲生郡日野城主の賢秀。はじめ賦秀(やすひで)。1568年(永禄11)人質として織田信長のもとに送られたが,寵遇をうけ岐阜で元服,信長の女をめとって日野に帰城した。本能寺の変後,豊臣秀吉に属し,84年(天正12)小牧・長久手の戦後,伊勢国松が島(松坂)城主となり12万石を領する。90年小田原攻めの戦功により陸奥国会津42万石に移る。翌年にかけて奥州各地を平定し,92万石に加増された。95年(文禄4)伏見で没。石田三成の陰謀による毒殺説もあるが明らかでない。茶道では千利休の高弟。キリスト教に帰依し,洗礼名レオン。
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…陸奥国若松に藩庁をおいた藩。1589年(天正17)中世会津を支配した蘆名氏を破り,この地を領した伊達氏はまもなく去り,90年蒲生氏郷が90万石の領主として黒川の地に入った。黒川は15世紀後半から蘆名氏の城下町として発展してきていたが,氏郷は城と城下の本格的経営にのりだし,外郭を新設,郭内も整備,侍屋敷と町屋敷を画然と区別,郷里近江国蒲生郡若松の森にちなんで,この地を若松と改めた。…
…黒川を拠点に中世会津を支配した蘆名氏は,1589年(天正17)伊達政宗に滅ぼされ,政宗もまた1年余で米沢へ去った。 90年,豊臣秀吉から会津の地を与えられ黒川へ入った蒲生氏郷(がもううじさと)は,郷里近江国蒲生郡の若松の森にちなんで,黒川を若松と改めた。氏郷は,これまで郭内にあった大町,馬場町などの町屋を郭外に移し,近江国日野町から従ってきた商工業者には日野町(のちの甲賀町)を割り出した。…
※「蒲生氏郷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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