日本歴史地名大系 「牧石北村」の解説 牧石北村ひろいしきたむら 兵庫県:津名郡五色町牧石北村[現在地名]五色町広石北(ひろいしきた)小山田(こやまだ)村の西南西にある。小山田丘陵西南西斜面、西向いの丘陵東北東斜面とその谷間からなり、傍示は本村(ほんむら)傍示・中谷(なかたに)傍示・山分(やまぶん)傍示となっている。正保国絵図に牧石北村と記され、高二四七石余。天保郷帳でも同村名で高三七五石余。反別戸数取調書では広石北村とあり、反別三四町九反余、高五九〇石余で、すべてが蔵入地。家数五七・人数二五五。近世後期には鳥飼組に属した。天保年間(一八三〇―四四)に庄屋佐野市郎左衛門・佐野雄作父子により、栢野(かやの)川の水を前田(まえだ)池に流す井手五五間・隧道六七間の疎水工事が行われ、約六町の水田を灌漑した。両人の顕彰碑が大正八年(一九一九)に建立されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by