牧郷(読み)まきごう

日本歴史地名大系 「牧郷」の解説

牧郷
まきごう

市域を西流する船橋ふなはし川以南に位置した中世の郷。平安時代交野かたの郡北部に置かれた摂関家領楠葉くすは(河南牧)に由来する名称かと思われる。「園太暦」文和元年(一三五二)四月二四日条に、折から八幡やわた(現京都府八幡市)に進攻した南朝軍と足利勢の合戦中の記事として、「昨日南北焼、牧、片野郷民不従武命之間、寄手陸奥守顕氏焼払歟」とある。「太平記」には「真木葛葉ノ溢レ者共」(巻八、四月三日合戦事付妻鹿孫三郎勇力事)、「真木・葛葉・禁野・片野・宇殿・賀島・神崎・天王寺・賀茂・三日ノ原ノ者共」(巻一七山門牒送南都事)のように「真木」の表記であらわれる。「真木・葛葉・禁野・片野」と市域の地名が併記されているところからみると、南北朝期の真木は、楠葉(葛葉)禁野きんや交野とならぶ地域の郷名であったらしい。


牧郷
まきごう

室町後期からみえる郷名。現美濃市域の板取いたどり川下流域に比定される。「碧山日録」応仁二年(一四六八)三月二七日条に「東濃武義郡牧郷、有寺、号長蔵」と記され、上野かみの長蔵ちようぞう寺の名がみえる。御手洗の曹源みたらいのそうげん寺蔵の永正三年(一五〇六)九月吉日銘をもつ鰐口陰刻銘には「濃州武義(郡)牧郷垂井村薬師堂」とある。なお、真木倉まきくら神社蔵の永享五年(一四三三)五月七日銘をもつ旗箱墨書銘には「美濃国武義郡安戸部郷牧村内御垂井」とみえ、安戸部郷牧村は「和名抄」の武藝むげ郡九郷のうちの跡部あとべ郷となんらかの関係をもったのであろうか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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